ネハナ日記

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みわちゃんの南米リポート(チェ・ゲバラ 最期の地編 パート2)

(続き)
ゲバラと他の革命戦士の遺体は、そこからヘリで、バジェ・グランデという村に運ばれました。
写真は、バジェ・グランデにあるゲバラミュージアムにあったもの。
ミュージアムには、ゲバラが銃殺されてからの、生々しい写真がたくさん展示されていました
写真0

遺体は、バジェ・グランデの病院の洗濯場に置かれました。
革命家チェ ゲバラが死んだことを、世の人々に知らせるために。
その病院は今もあります。
ツアーで、病院の中に入って、裏庭に行くと、このように柵で囲まれた
当時のままの洗濯場がありました。
写真洗濯

遺体は向かって左( 手前 )に頭が置かれました。
ここの壁も、訪れた人たちのメッセージでいっぱいです。
写真00

主演のベネチオ・デルトロが好きで映画館に行き、
それからなんとなく本を読んで興味を持ったチェ・ゲバラですが、
実際に南米に来て、捕えられた渓谷まで行ってみて、
自分が生まれるほんの何年か前に、南米を独立させようとする人がいて、
そして南米はそんな状況で。
ゲバラが正しいとかどうかとかはよくわからないけれど、最期まで南米の独立のために、
人々のために、戦い続けるその信念は何からくるのだろう、、と思いました。

最期に戦っていた渓谷は、よくこんなところでゲリラ戦を続けていたな…と
単純に思ってしまいました。暑くて、草や木がぼうぼうで、
食料になるようなものなんて何もなくて、蚊がたくさんで…。
ゲバラの履いていた靴は、スエードのような革の、おくるみのようなものでした。
ごっついブーツではなく。中に、靴下3枚づつ履いていたそうです。
ゲリラ戦士の中には、女性も一人だけいました。(以上)

(チェ・ゲバラの名言集を紹介します)

「私を導くものは、真実への情熱だけだ。
あらゆる問題について、私はこの点から考える。」

「どこで死に襲われようと、われわれの戦いの雄叫びが誰かの耳に届き、
われわれの武器を取るために別の手が差し出され、他の人たちが立ち上がるのなら、
喜んで死を受け入れよう。」

「国民に意思を伝えるためには、国民の一人となって感じなければならない。
その大きさは、科学では測れない。国民の欲するもの、要求するもの、
感じるものを知らなければならない。」

「なんでもないアスピリン1錠でも、患者を思いやり、
苦しみを自分のものにできる友人の手から与えられれば、
患者にとってどんな意味をもつだろう。」

彼は日本にも来ていて広島の原爆資料館を訪れ
広島の原爆の惨禍にこだわり、悲劇を繰り返させまいと念じていたそうです。

・・・・。ゲバラが英雄だといわれ今でも絶大なる人気があるのが分かります。
愛のある革命家・・チェゲバラ。

 みわちゃん。またお便り楽しみにしています!
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